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かもめアカデミー
忘れられた壁画を救う 京都大学大学院 人間・環境学研究科
田口かおり
第1回 すべてのはじまり―閉館前日
 2021年、神奈川県小田原市で長く市民に愛された小田原市民会館がひっそりと閉館しました。その壁には巨大な2枚の壁画が描かれていましたが、長く「壁画」であることを忘れられた存在でした。調査の結果、『世界名作全集』などの挿絵で有名な画家・西村保史郎が59年前に手がけた作品だったことが判明。その作品を救うべく立ち上がった、田口かおり准教授(東海大学教養学部芸術学科)による新連載。国内では例を見ない保存プロジェクトをレポートします。

小田原市民会館大ホール1階に残された「赤い壁」部分

 

作品との出会い

  
 2021年7月30日。
 小田原市民会館の大ホールに、私は生まれて初めて足を踏み入れた。最初に鼻先に届いたのは、古い建築物に特有の湿気を含む重い布の匂いである。消毒薬の混じった病院の廊下のような匂いが、追って足元から上がってくる。一度も来たことがない場所であるにもかかわらず、懐かしさを覚える。あたりまえのように長い間そこにあり続けたものの匂いには、どこか共通する要素があるのだろう。
 明日、この建物は閉館となる。1962年に開館し、人々の暮らしに寄り添い続けてきた現在の小田原市民会館は、完全に解体されるのである。
 「こちらが西村保史郎の作品です」と、案内していただき見上げると、ホール内部へ続く開口部の扉が立ち並ぶ奥行きのある壁を、天井から地上まで埋め尽くす赤い壁が目に入った。表面には起伏があり、大きくダイナミックに動かした筆跡のようなモチーフがうねるように描かれている。目を凝らすうちに、赤のなかに黒が、徐々に浮き上がってみえる。

 2階に上がると、今度は青い壁が出迎えてくれた。下方に小さく綺麗な筆跡で「YASUSHIRO-NISHIMURA 1962-7」と書かれている。1962年の7月、59年前のまさに今のこの時期、西村保史郎という名の画家は、小田原市民会館大ホールの壁に絵を描いた。1階のホワイエ入り口壁面には赤い作品を、2階の同箇所壁面には青い作品を描いたのである。

大ホール2階部分の「青い壁」

直筆のサイン

  

謎の画家・西村保史郎


 西村保史郎は1915年に東京に生まれた。昭和期における有力な美術団体のひとつである自由美術家協会で活躍する傍ら、1964年には仲間たちとともに主体美術協会の設立を果たすなど、日本の近現代美術史において確かな足跡を残した人物の一人であるともいえる。

西村保史郎プロフィール写真 『主体美術』(発行:主体美術協会)2019年8月 No.105より転載

 とはいえ、多くの人は「画家・西村保史郎」を知らない。現存する日本最古の画廊であるとされる資生堂画廊(1947年以降は資生堂ギャラリーに改称)や、戦後の日本の現代美術をアクティブに紹介してきた椿近代画廊やフォルム画廊をはじめ、数々のギャラリーで展覧会を開催するなど、西村が生前、精力的に活躍していたことはわかっている。だが、残念ながら、現在彼の作品のほとんどは所在が不明で、美術館の常設展で見ることも叶わない。
 小田原市民会館の「赤い壁」と「青い壁」についても、「作品」として認知していた人はおそらく長い間ごく少数に限られたと思われる。ほんの数年前、小田原市の文化財や美術作品の保存を推進するアーカイヴ隊の懸命なリサーチにより詳細が明らかになるまで、作品下方に入れられた西村保史郎の署名もまた、物陰にかくれたまま息をひそめていたのである。

 1962年、西村は、小田原市民会館の内装を依頼され、自身の生涯において手がけたうちで最大規模となる壁画を大ホールホワイエの1階と2階に制作した。建物の建築と壁画の制作はほぼ同時進行で進められたことが上述のアーカイヴ隊の調べによって明らかになっており、本作品が、会館の建築当初より、内部空間の要と位置づけられていた経緯が見えてきている。作品の物理的な寸法から考えても、文化施設のホワイエの2壁面を自身のキャンバスとするというプロジェクトの規模から考えても、画家・西村保史郎にとって、本件は生涯で最も大きな仕事であったろう。

立ち上がった保存プロジェクト


 しかし、上述のように、この建物は2021年7月31日に完全に閉館する。このまま作品も建物と共に失われてしまうとなれば、希少な「画家・西村保史郎」の大仕事が完全にこの世から消滅することになる。限られた時間のなかで、どうにかして「赤い壁」と「青い壁」を一部だけでも保存できないものか、という声が挙がり、やがて私もそのプロジェクトに加えていただくことになった。
 私たちの使命は、建物と共にいわば旧施設の一部として解体され消滅する予定だった西村保史郎の作品の一部を壁から「引き剥がす」ことで保存し、修復し、公開する術を検討することにある。
 西村は2015年に亡くなっており、ご子息もすでにこの世を旅立たれている。また、周囲の関係者からの声も見つけにくく、情報の収集が難しい。このような状況下で、私たちはどのように「赤い壁」と「青い壁」を――この文化施設の文字通り記憶の一部をなすモノを、未来へと残すことができるのか。

 本連載は、作品の物理的な保存と並行して、プロジェクトの進行をほぼリアルタイムで書き起こす記録物としての役割をもっている。

作品の保存作業

 2022年6月18日現在、作品の第一段階の「引き剥がし」が終了し、さまざまな困難にぶつかりながらも計画は進行中である。消滅する建物から壁の一部を剥がし、残す。この挑戦に付随して展開する物語を読者のみなさまにも共有いただき、そして本年の終わりには、残された作品の一片を実際に見ていただくことができるように場を整えることを予定している。
 100点の作品には、100通りの記憶の紡ぎ方がある。「赤い壁」と「青い壁」という稀有な命運を辿る作品の記憶の紡ぎ手として、多くの方にこの物語の行く末を見守っていただけたら、それに勝る喜びはない。(つづく)
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【たぐち・かおり】
1981年生まれ。国際基督教大学教養学部卒業。フィレンツェ国際芸術大学絵画修復科修了後、フィレンツェ市内の修復工房に勤務し、帰国。2014年、京都大学大学院人間・環境学研究科修了、博士(人間・環境学)取得。東北芸術工科大学・日本学術振興会特別研究員PDを経て、東海大学創造科学技術研究機構に日本学術振興会卓越研究員として着任(特任講師)。東海大学教養学部芸術学科准教授を経て、現在、京都大学大学院 人間・環境学研究科准教授。専門は保存修復史、修復理論。国内で開催される展覧会のコンサベーションを数多く担当している。
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