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かもめアカデミー
忘れられた壁画を救う 京都大学大学院 人間・環境学研究科
田口かおり
第11回 壁画を保存することの意味とは

破壊することでしか、保存することができない──《青い壁》の修復完了


 12月の展示が終了し、3月の第2回展覧会が近づくなか、引き剥がして処置を進めていた《青い壁》の保存修復が完了した(図1)。《青い壁》は下地の石膏が脆く、各層の結合力が弱かったこともあり、作業は非常に難航したといわなくてはならない。光沢のある樹脂で全体をかためて剥がした経緯は以前の連載でもご報告した通りであるが、実際には、修復過程でも再度の構造強化が必要となり、結果として作品には剥がす前の壁画には存在しなかった光沢がところどころに残ってしまった。

 既に修復が完了している《赤い壁》と並列展示をすると、表層の様子の違いがよくわかる。ごつごつとした下地の上に絵具が塗られているさまや、画面を塗りあるいは引っ掻きながら制作を進めた工程がよく理解できる場所を残すことができたのは確かだが、やはり表層の光り方は、壁面にあった以前の状態とは大きく異なっている(図2)。

図1. 《青い壁》修復後

図2. 《青い壁》修復中の様子


 作品は、壁から剥がされ、額装され、私たちの前に今一度「作品」として帰ってきた。ただし、見た目も、大きさも、以前のそれとは異なるものとして、である。
 前回の連載で、壁から剥がしとった作品を展示する「居心地の悪さ」について触れた。すべてを残すことができない以上、残された情報や実体が否応なく分断されてしまうことに伴うある種の葛藤は、技術的な難しさ以上に悩ましい問題である。

 そう、西村保史郎の作品を残すためには、私たちはいくつかのことを決断しなくてはならなかった。端的に述べるなら、私たちは作品を破壊することでしか、保存することができなかった。何かを残すためには、もともとの形を大きく壊さなくてはならない。ここに、そもそもの今回の「保存修復プロジェクト」の根本的なジレンマのようなものがあったと言わなくてはならないだろう。一体、私たちはここで何を残し、何を公開しようとしているのだろうか。別の形に変容し戻ってきた《青い壁》を前に、今一度、プロジェクトの中核にあった「難しさ」について考えてみたい。

保存修復と3つの問題──変容・境界・作品化


 《赤い壁》《青い壁》を保存修復することにともなった困難のうち、もっとも悩ましかった3つの問題を整理しておこう。
 1つ目はいうまでもなく、壁を装飾する作品の一部を切り取ることに伴う問題である。既に述べたように、どの場所をどのように切り取るにせよ、私たちは作品のどこを残すかを決めなくてはならなかった。つまるところ、そこには、残す側の意図が必ず働くことになる。保存修復が壁画を決定的に「変容」させるふるまいであることを、覚悟を持って認め、なお作業を進めていかなくてはならなかった。壁から作品を剥がしとるのはもちろん技術的にも非常に困難であるが、そこにはより根源的な課題、いうなれば倫理的な問いが無視できない重石としてあり続けたのである。

 2つ目は、前回の連載でも触れた、作品を額装することにともなう問題である。そもそも壁を一面に装飾するものであった《赤い壁》《青い壁》を切り取った上に額装することは、作品に本来はなかった「境界」を設けることに他ならない。作品を安全に取り扱うためには付けざるをえなかった額縁だが、最後まで、付けるべきか否か、迷いが残った。
 3つ目は、そもそも作品が建物の一部として機能していた──つまり鑑賞される対象というよりもむしろ単なる施設壁面とみなされていた期間が長かった、その背景を踏まえたとき、一部を「作品」として残すことにいかなる意味が宿るのか、という問題である。

 プロジェクトの進行は、こうした難しさについて一歩一歩考え進んだ道のりの積み重ねであったように思う。解決が難しい問題を抱えている以上、プロジェクトはむしろ実施すべきではなかったのか、との問いが浮かび上がるかもしれない。しかし、私たちは、やはり《赤い壁》《青い壁》の保存修復には少なからず意義があったと考えている。

 完全消失か、部分的な保存か。大きな分かれ道の前で、私たちは後者を選択した。結果として私たちは、作品を切り取り「変容」させることでしか、額装して「境界」を設けることでしか、「作品」として残すことでしか、延命をはかることができなかった。《赤い壁》《青い壁》保存修復プロジェクトは、いうなれば「こうしなければ残すことができなかった」事物と記憶のケーススタディである。公共建築に伴う装飾壁画の保存修復の一提案として、あるいは後世における批判的考察の対象としての意義を見出すことはできないだろうか。(つづく)
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【たぐち・かおり】
1981年生まれ。国際基督教大学教養学部卒業。フィレンツェ国際芸術大学絵画修復科修了後、フィレンツェ市内の修復工房に勤務し、帰国。2014年、京都大学大学院人間・環境学研究科修了、博士(人間・環境学)取得。東北芸術工科大学・日本学術振興会特別研究員PDを経て、東海大学創造科学技術研究機構に日本学術振興会卓越研究員として着任(特任講師)。東海大学教養学部芸術学科准教授を経て、現在、京都大学大学院 人間・環境学研究科准教授。専門は保存修復史、修復理論。国内で開催される展覧会のコンサベーションを数多く担当している。
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