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かもめアカデミー
忘れられた壁画を救う 京都大学大学院 人間・環境学研究科
田口かおり
第9回 展覧会が立ち上がる(前編)
 2022年12月1日。展覧会開催まで残すところあと2日。空気は冷たく澄んで、よく晴れている。朝一番に空模様を確認してほっと安堵したのは、今日がほかでもない展覧会設営日、そして作品搬入日であるからである。万が一雨天になれば、作品を安全に運び込むための工夫を凝らさなくてはならなかった。心配の種をひとつ消えたことに胸を撫でおろしながら、工具の山を両手に抱えて家を出る。息が白くけむる朝9時過ぎ、プロジェクトメンバーたちが続々と小田原市民ホール──通称「小田原三の丸ホール」(*以降三の丸ホールと記す)へと集まってきた。

 三の丸ホールは、閉館した小田原市民会館の歴史を受け継ぐ新たな文化と芸術の拠点として、2021年に生まれたばかりの場所である。今回のプロジェクトの成果をどのような場所で報告するべきかについては幾度も議論を重ねてきたが、最終的に三の丸ホールを使用することが決まったことは、私たちにとって大きな幸いであったといわなくてはならない。そもそも、小田原市民会館が西村保史郎《赤い壁》《青い壁》の元の「居場所」であることをふまえれば、作品の一部が保存され再展示される場として、三の丸ホールほどふさわしいところは他にないだろう。展覧会の名は「のこす つなぐ よみがえる 小田原市民会館大ホール壁画の記憶展」。とりわけ「つなぐ」には、作品の一片を物理的につなぎあわせて修復する、という工程に加えて、市民会館と三の丸ホールという作品の新旧展示場所を結びつなぐことを含め、さまざまな接続の願いが託されている。

図1 小田原三の丸ホール 1階ギャラリー回廊

 展覧会は、12月と3月の2回にわたって開催されることになった。前者では、建物1階と2階のギャラリー回廊を使って展示を展開することが決まっていた。回廊は移動通路でもあり、誰もが気楽に展示物を目にすることができるスペースになっている(図1)。イベントの合間に、観劇の休憩時間に、回廊のところどころで思いがけず西村作品との再会を果たすことができるような軽やかさが生まれればと願った。回廊の縦長のスペースは、そのまま市民会館大ホールの大画面や、複数階に描かれていた二作品を彷彿とさせるつくりになっていて、プロジェクトを報告する「土台」としても魅力的だった。1階で旧市民会館の記憶をたどり、《赤い壁》《青い壁》作品を確認した上で2階に上がると、保存修復プロジェクトの全貌と実際に「剥がし」「保存された」作品の一部を見ることができる──これが、12月の展示の流れである。


 さて、ここからは展示を振り返りながら、回廊を再び歩き直すことを試みてみたい。

1階回廊 作品の全容を記録に


図2 全体写真パネル搬入風景

 1階回廊の真ん中にひろびろと伸びるのは、1897創業の老舗写真館、「五十嵐写真館」が分割で撮影し編集した《赤い壁》《青い壁》の全体写真パネルである(図2)。すでにここまでの回でも述べたように、《赤い壁》は壁の横幅が2244cmにも及ぶ大きさで、描画の全貌を見晴らすことが難しかった。多くの人が《赤い壁》の描画を「黒いしみ」として認識していた、というエピソードからも窺い知れるように、スペースの都合上もあって、旧展示場所は壁面をひとつの作品として鑑賞できる状況ではなかったのである。作品が消失する前に全体像を確認できる記録をどうしても残しておきたかったこと、また、その様子を展示のなかで紹介したかったこともあって、協力いただき作成したのがこのパネルであった。

図3 全体写真パネル展示風景

 横に大きく伸びる二つの壁面写真を改めて眺めると、間近で作品を見ていた時には気づくことが難しかったおおらかさと浮遊感がありありと感じられる。飛翔する鳥のような、あるいは海面にゆったりと姿をみせる鯨のような黒が、鮮やかな赤の地の上で脈打ち鼓動している。至近距離から観察すると、部分的な絵具の塗りの分厚さや力強さに目が集中してしまい、背景の赤あるいは他の黒色部分との関係性が見えにくかったのだ、という気づきがある。写真パネル上には、壁面中央に向かって右方向から上へと伸び上がり、ゆるやかに左下方へと流れていく大きな流れが広がっている(図3)。

 一方、青の壁面上を削り取る線刻のような表現は、1階の赤の壁面にはない緊張感を生んでいる。改めて記録写真を並べて検証すると、西村保史郎という画家が二つの壁面上の描画を仕上げるにあたって様々な技法を多用した様子が見えてくるのである。

 加えて、作品の前に事物が置かれていた場所は剥落が著しかったり、背もたれの位置に沿って擦れ傷や染みが広がっていたりなど、ホールホワイエに描かれた作品が建物の一部として機能し、経年の過程で変容していった痕跡が確認できることもまた、大きな収穫だといえる。この大型写真を中心に、1階の回廊では市民会館の歴史や作品発見の経緯が概説された。(つづく)

プロジェクトの成果をまとめた展覧会を開催

のこす つなぐ よみがえる
小田原市民会館大ホール壁画の記憶展vol.2

3月2日(木)~12日(日)
小田原三の丸ホール展示室


●保存修復プロジェクト トークイベント
日時:2023年3月11日(土)14:00~
場所:三の丸ホール2階
講師:田口かおり准教授
【事前申込制/聴講無料/先着30名】
※お申込みは小田原市文化部文化政策課(0465-33-1703)までご連絡下さい。(9:00~17:00 土日祝を除く)
●ギャラリートーク
日時:2023年3月12日(日)
 1回目:11:00~
 2回目:14:00~
場所:三の丸ホール1階展示室

詳細はコチラ⇒

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【たぐち・かおり】
1981年生まれ。国際基督教大学教養学部卒業。フィレンツェ国際芸術大学絵画修復科修了後、フィレンツェ市内の修復工房に勤務し、帰国。2014年、京都大学大学院人間・環境学研究科修了、博士(人間・環境学)取得。東北芸術工科大学・日本学術振興会特別研究員PDを経て、東海大学創造科学技術研究機構に日本学術振興会卓越研究員として着任(特任講師)。東海大学教養学部芸術学科准教授を経て、現在、京都大学大学院 人間・環境学研究科准教授。専門は保存修復史、修復理論。国内で開催される展覧会のコンサベーションを数多く担当している。
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