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美しいくらし
山の魔女が紡ぐイタリア薬草暮らし 「ラファエロの丘から」主宰
林 由紀子
第14回 ロレッタのクリスマスプレゼント

ネローネ山の冬景色

12月になるとアペニン山脈の冷え込みも本格的になり、葉を落とした木々が影絵のように山の輪郭を包み、静かな美しさをたたえている。時折霜が降りたり、夜の間にふわりと雪が降ったりして、粉糖を振りかけたようなネローネ山を見られる朝もある。

イタリアに長く暮らすようになって驚いたのは、クリスマスが日本ほど商業的イベントではなく、信仰や冬至に基づいた文化的習慣として、意外なほど質素に祝われていることだった。大きな都市のデパートや大型スーパーは派手なイルミネーションも多いが、私の住むような小さな村が集まる地域ではそうした装飾は比較的控えめだ。代わりに小さな教会にはプレゼピオ(キリスト生誕のシーンを再現した模型)が飾られ、静かで薄暗い礼拝堂でぐっとクリスマスの雰囲気を出していたりする。年齢のせいか、またはここの習慣が染みついたのか、きらびやかな町ではなく、山間の村でこのほの明るい質素なクリスマスシーズンを味わうというのが、ここ数年の私にとっては心地よいのだ。

食べ物のことでいうと、クリスマスイブには魚を食べる習慣が付いた。イタリアには、ご馳走である肉料理は12月25日に食べ、その前日のイブは粗食であるべきという考えがある(といっても最近では魚の価格も上がり、材料費としては肉と同じかそれを上回ることも多いのだが)。マンマ(お母さん)やおばあちゃんはクリスマスに向けて料理の準備が全開モードになる。各地にクリスマスの郷土料理があり、日本人がいそいそとおせち料理を用意するのと同じように、各家庭でパスタが打たれたりお菓子が焼かれたりする。特別な日に家族と美味しい食卓を分かち合いたいという気持ちは世界共通だ。

教会に飾られたプレゼピオ


前置きが長くなったが、そんな季節にロレッタが用意するお菓子がある。あるとき秋にしこたま拾ったクルミを一生懸命割っているのを見て、一体こんなにたくさんの剥きクルミを何に使うのか聞いてみたことがあった。

「これはね、トローネ(ヌガー)に入れるためのクルミ、唯一あたしが作る菓子だよ。自分ではほとんど食べないけれどね」

ほう、と私は思った。ロレッタは普段から甘いものをほとんど食べないし、クリスチャンらしいふるまいも全くと言っていいほどない。そんな彼女がクリスマスにお菓子を作るとは初耳だ。それも自分ではあまり食べないらしい。

「甘いものが嫌いなのに、トローネのような手間のかかるものを作るなんてどうして?」と驚きを隠せず私は聞いた。アホな質問をする奴だ、というふうな顔をして私を見るので、その日は私も負けずにアホですみませんね、という顔をして彼女の顔をじっと見てみた。「ほらこの大量のクルミ、ユキコならどうする? 拾わないで地面で腐らせる?」と聞くので、そりゃもちろん拾うわよと言った。

山で集めたたくさんのクルミ

ロレッタが作ったクルミのトローネ


「この菓子はね、秋にたくさん採れるクルミやヘーゼルナッツ、アーモンドなんかを効率よく消費するための菓子だからね。昔はナッツ類は買うものではなく森で拾うものだった。一気に落ちるから、傷む前にどんどん使わなきゃならないだろう? ここでは沢山クルミが採れるからあたしはクルミで作っているけれど、ナッツはあるものでいいんだよ。あとはハチミツと卵があればいい。ハチミツは養蜂家の友達がバケツで持ってくるからね。卵はほら、隣にめんどりの囲いがある人がいるから、用は足りてるよ」

なんと買い物もせずにトローネができるとは。市販されているものは砂糖を使っている場合が多いが、ロレッタはハチミツのみで練っているという。贅沢の極みではないか。唯一買うものは、トローネの両面を挟む「オスティア」という薄いモナカのようなシートだけだそうだ。うん、食べてみたすぎる。でも誰かに頼まれて作っているのかもしれないし、手間のかかるものだから特別な人に渡すものかもしれない。食べてはみたいが、なんとなく図々しい気がしてお願いしそびれた。

ローズヒップを摘むロレッタ

そんなトローネの話をひとしきりしたあと、その日私たちは山へローズヒップを収穫しに行った。12月の山は、ふるさとの北海道のような鼻の奥がツンとする心地よい冷気で満ちていて、標高の高いところに来ると下界が霧に包まれているのが見える。

ローズヒップは冬の間に収穫できる数少ない実だ。赤い可憐な実が、黄や茶色ばかりが目立つ山によく映える。山のサンゴのようにつやのある実はビタミンCが豊富で、ハーブティーやジャムに重宝される。完熟し、一度寒さで凍ったものは柔らかくなり、そのまま口で吸うと甘酸っぱいピュレのようになりとても美味しい。種から採れるオイルは肌に塗ると保護膜になり、炎症を引き起こす外部の要素から守ってくれる。夏の終わりには、5枚の花弁を持つきれいなピンク色の花を咲かせる。私がイタリアに来たばかりのとき、義理の母がローズヒップでお茶を淹れてくれ、とても美味しかったので印象に残った植物だった。

ロレッタは袋を下に置き、採った実が袋に入るように枝を袋のほうに引っ張りながらハサミでチョン、チョンと赤い実を切っていった。時々とげに引っ掛かり、イタタ……と言いながらも黙々と作業しながらこう言った。

「これを籠に入れて、薪ストーブの近くに吊るしておくときれいに乾くんだよ。種を取る作業が一番面倒だね、なんてったって実のほとんどが種だからねえ。大プリニウス(古代ローマの博物学者)はね、この木の根が狂犬病に効くと信じて、この薔薇をローザ・カニ―ナ(イヌ属のばら)と名付けたんだよ。この立派なとげ、犬の牙を思い起こさせるだろう」

そう話すロレッタは楽しそうで、赤い実は美しく山は心地よく、穏やかな冬至の雰囲気に満ちていた。少しずつ1年の終わりに近づく季節、一番夜が長いこの日を超えれば春に向けて徐々に日が長くなり、地中の種は発芽に向けて活動を始める。私もクリスマスの飾りつけ用にも使おうと、いそいそとたくさんのローズヒップを籠に摘んだ。

収穫したローズヒップ


それから幾日か経ち、クリスマスを目前にしたある日、ネローネ山に雪が降り、一晩で美しい雪景色となった。私は仕事と家事に追われていたが、ネローネ山の雪景色がどうしてもひとめ見たかったし、ロレッタに年末のあいさつもしたかったので、自家製の干し柿と味噌を持って出かけていった。雪景色のネローネ山は、普段とは違う清々しい姿を見せてくれた。

「ロレッタいる? ちょっと寄ってみたの」とドアを叩くと、「Entra(入りな)」といつもの声が聞こえて来たのでお邪魔した。
年末のあいさつに来たよ、今年もいろいろお世話になったしね、と言ってテーブルに干し柿と味噌を置くと、その日は珍しくお茶ではなくリキュールを勧めてくれた。あれからローズヒップを干したか、私はジャムにしたわよ、などたわいない世間話をしていると、「ああそうだ」と言ってロレッタが小さな袋を私に差し出した。それはロレッタが作ったあのクルミのトローネだった。きれいに長方形に切られて袋に詰められている。

「えっ?? なに、貰ってもいいの??」と嬉々として私が聞くと、「世話になった友人知人に配っているからね、もう2個しか残っていないから、早く持っていきな」と言ってくれた。すっかりトローネの存在を忘れていた私は、自分もその友人リストの最後のほうにいられたことを心から嬉しく思った。

これは明らかにロレッタからのクリスマスプレゼントだった。干しヤモリでもマンドラゴラ(引き抜かれるときに悲鳴をあげるという伝説がある植物)でもないけれど、食べもしないお菓子をこうして手間暇かけて作る彼女は、私にとって紛れもなく心優しい魔女だ(口は悪いけれど)。私は包みを大切にカバンに入れて、お礼を言い彼女の家をあとにした。トローネはあっという間にお腹に消えるだろうが、この思い出は美しい雪景色の記憶とともにきっとずっと残るだろうなと思いながら、白い山道を下っていった。(つづく)

(写真提供:林由紀子)

【ラファエロの丘から】http://www.collinediraffaello.it/
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【はやし・ゆきこ】
1999年からイタリア在住。現在はマルケ州のアペニン山麗で暮らす。ファエンツア国立美術陶芸学校卒業。陶芸家として現代アートの制作に携わる傍らマルケ州をはじめとする中部イタリアの美術工芸、食文化、薬草文化などの学びと体験の旅をコーディネートする「ラファエロの丘から」を主宰。2018年、現地の食の歴史家や料理家とともにアソシエーション「Mac Caroni」を立ち上げ、消えゆくマルケ州の食文化を継承するための活動にも尽力している。近年は植物民俗学的視点からの薬草文化を研究、近郊の山で学びのフィールドワークを進めている。京都芸術大学通信講座非常勤講師。
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