第11回 ロレッタの親友、ネローネ山の炭焼き師エンツォ
 イタリアの10月は秋の実りの月だ。丘ではオリーブやワイン用ブドウの収穫があちこちで見られ、山では栗や木の実、ローズヒップ、ジュニパーベリーなどが熟し始める。市には柿やザクロ、ナツメといったイタリアの秋を象徴する果実が並び、世界全体の色味が渋みや温かみを帯びて、豊潤という言葉がぴったりの季節だ。

ヤマゴボウを掘るのは一苦労
 人間界はこの時期、美味しいものを食べるのに忙しい訳だが、私の慕うロレッタもこの季節はさすがに薬草だけではなく、美味しいものにもしっかり気を配る。もちろんそれらは山で出会える野生の味覚だ。野生種のリンゴやクルミ、ヤマゴボウ、シロニンジン。秋の優しい雨と日中の日差しのお陰で、青々と育った食べられる野草たちもまだまだ採れる。イタリアにもヤマゴボウが生えていることを知った私は嬉々とした。思ったよりあちらこちらに生えている。ロレッタの家の近くは空気も環境もきれいなので、安心して口にできる野草や山菜、根菜が採れるのは嬉しいことだ。
 ある日私はロレッタにきんぴらごぼうを作ってあげたくて、出来るだけ一か所でたくさん生えている場所はないかと聞いた。するとロレッタはこう答えた。
 「ああ、炭焼きをやっているエンツォの焼き場の周りが、ゴボウだらけだったと思うよ」
 ん、炭焼き? エンツォ? 初耳だな、と私は思った。なにより今でも“炭焼き”という仕事が残っていることにびっくりした。「ユキコはエンツォに会ったことがなかったかい? 今ちょうど炭焼きの準備をしていたはずだよ。どれ、ちょっくら会いに行ってみようか」と珍しくロレッタからイニシアチブを取ってくれた。きっとロレッタの親しい友人なのだろうと私は察した。
 ロレッタの家から車で少し下山したところに、エンツォの炭焼き場はあった。ちょっと奥まっているから見えにくいが、なに、いつも私が通っている道沿いにあったのだ。なぜ今まで気が付かなかったのだろう。「おーい、エンツォ、居るかい?」とロレッタが声をかけると、向こうから「おう、居るよー」と声が返ってきた。
 そこには、車道からは見えなかった、広場のような空間が広がっていた。中でも私が目を奪われたのは、美しい炭焼きのドームだった。細かい炭でできた黒い円形のサークルの真ん中に、大きさごとに分けられた木の枝がきっちりと積まれ、まるで現代美術のインスタレーションのようだ。私はその美しさに、言葉もなくただ立ちすくんで見とれていた。

芸術作品のように美しい枝のドーム

仕事場で炭用の枝を整理するエンツォ
 「エンツォ、日本人の来客は初めてかい?」と、ロレッタが笑いながら言っている。
エンツォに挨拶をすると、おしゃべりが始まった。エンツォは、このネローネ山で30年以上炭を焼いている筋金入りの職人であるだけでなく、この地域一帯の集落の集まりで構成された、コムナンツァという名の山のコミュニティの代表でもあるそうだ。
 コムナンツァとは中世から続くコミュニティ自治体のありかたで、山からの恵み、つまり木材や水といった共有資源を分かち合いながら暮らしを支えあう集団のことだ。今では珍しいが、イタリアの山岳地帯にはところどころにこのような習慣が残っている。コムナンツァに所属するためには、その人名義の家がこの地帯にあること、2世代を超えてこの地域に定住していること、という条件があるという。
 「あら、ということは、ロレッタはコムナンツァに所属はしてないということ? 2世代では定住していないでしょ?」と尋ねる私に、エンツォがアハハと笑って答えた。「確かに我々からいえば、ロレッタはこの土地に生まれてもいない新入りさ。でも彼女は薬草との関わりを通してこの土地の新しい価値を見つけてくれた。いわゆる名誉会員みたいなものさ。俺たちがそう決めたんだ」

炭焼き師としての誇りを熱く語る
 私の目をまっすぐ見てそう話すと、続けて「代わりに俺はいつでもロレッタの家に行って、薬草酒をかっ食らうことが出来る」と言い、豪快に笑うエンツォ。「俺はこの集落で炭を焼いてはいるが、住んでいるのは山の麓のピオッビコという町さ。毎日ここに来てロレッタとおしゃべりし、働いてから町に戻る。秋までそれは続くよ」。その話しぶりから、ロレッタとエンツォが本当にいい仲間なのだということが伝わってきた。ロレッタはニコニコしながらエンツォの話を聞いている。まるでどこで突っ込みを入れようかワクワクしているようにも見えた。
 「ユキコ、びっくりしただろう? 一度この炭焼きをじっくり見に来るといいよ。このドームはこれから火入れするものだけれど、焼く工程も、焼きあがった後の処理も面白いよ。もうほとんど消えてしまったこういう職業がリアルに目の前で見られるんだからね、我々はラッキーだよ」とロレッタは言った。

ここから火を入れるんだよ、と教えてくれるロレッタ
 美しい木のドームの周りには、彼女が慈しんでいる薬草がいくつも生えている。パリエタリア、ニガヨモギ、西洋イラクサ……。「せっかくここまで降りて来たから、昼食のサラダ用の野草でも摘むかね、どれどれ……」と言って、ロレッタはいそいそとめぼしい野草を摘み始めた。そうだった、私もゴボウを堀りに来たんだ!と我に返り、エンツォにここでゴボウを探していいか聞くと、「いいよいいよ、好きなだけ持っていきな」と言ってくれた。
 スコップでゴボウを堀りながら、なんて豊かなんだろう、と私は思った。ゴボウだけではなく、薬草や野草だけではなく、山という環境を通じて、いろいろな人間がこの山に寄りあって生きている。それぞれが自分に出来ることをしながら、四季折々クロスしあう。私はなぜロレッタがこの土地を選んだのか、とても腑に落ちた気がした。もちろん環境のすばらしさ、植生の豊かさもあるだろうが、コミュニティのあり方もその理由なのではないだろうか。山に暮らす人々の生きざまのようなもの、その織り糸の多様性でタペストリーは出来上がる。こんな集落を見つけて住み着くなんて、やっぱりロレッタはただものではない。良い師に出会ったものだと、ゴボウを堀りながら私はひとり心でうなずいていた。(つづく)
(写真提供:林由紀子)
【ラファエロの丘から】
http://www.collinediraffaello.it/