トマトのビステッカ
トマトのビステッカ
「さあ、食べて! トマトのビステッカよ」と皿が運ばれてきた。ビステッカは本来ならば厚切りのビーフステーキのことだが(ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナといえばフィレンツェの名物の骨付きTボーンステーキ)、このときは厚切りの大きな自家製トマトにフレッシュなオリーヴオイルとオレガノと塩を振ったものだった。極めてシンプルなものだが、暑い日差しと、乾いた空気の下で食べるそれは、本来のビステッカに勝るとも劣らない、最高の一皿だった。
ナスを使った郷土の味メランザーネ・スカッパート
イタリア半島南端のカラブリア州北部、自然豊かなポッリーニ国立公園内にある「FALCONIERI DEI SETTEVENTI(ファルコニエリ・デイ・セッテベンティ)」は、猛禽類を保護し飼育しているロベルトさんの施設で、最終日の最後の取材後のランチで「サラミやお肉はもう食べ飽きたでしょ(笑)」と、ロベルトさんの奥さんのカテリーナさんが気を利かせて出してくれたものだ。ほかにもナスを使った郷土の味メランザーネ・スカッパート(半分に切ったナスにトマトを載せてオーブンで焼いたもの)や、乾パンにマリネしたトマトを載せたものなど、ナスとトマトのオンパレード! まさに季節を満喫する料理だった。
タカとロベルトさん
「FALCONIERI DEI SETTEVENTI」には、皇帝ミミズクやハヤブサ、ワシ、そしてタカなどがいて、猛禽類を腕の上に乗せる体験もできる。僕も頑丈な皮のグローブをはめて小さな鳥から乗せてみる。皇帝ミミズクの大きく丸い目には、どことなく心の奥底を覗かれているようだ。ハヤブサはシュッとしてスマートでクールな印象。最後にロベルトさんが連れてきたのは、アイマスクをつけた大きなタカだ。翼を広げると2mを超える。そのマスクを外したら絶対に目を見てはいけないと注意されて、おっかなびっくり乗せてみた。目を合わせると敵とみなして襲ってくるらしく、相手の顔も一生忘れないらしい。そう言われるとむしろなんだか目を見てしまう、怖いもの見たさみたいなことか……。イタリアでは鷹匠は珍しく、ロベルトさんはカザフスタンの鷹匠などと交流して学んだそうだ。
この日の朝は早かった。午前3時半に起きて準備をして、ロベルトさんの案内で彼の友人の酪農家・アントニオさんの農場へ向かった。そろそろ夜が明けようとしている丘の上の農場からは、薄っすらと光が差し込むシバリ平野を一望できる。草を食むウシにバケツを手に寄っていったアントニオさんが乳を搾り始める頃には朝日が昇り、あたりはオレンジピンクに染まった。白いウシも同じように染まっている。なんとも美しい幻想的な光景が目前に広がっていた。早起きした甲斐があった。食用のウシなのでそれほどの量を搾れないが、濃厚で脂質の高いよい乳が出るという。
ウシの乳搾りが終わるとヤギ乳へと移る。アントニオさんが小さな小屋の椅子に腰を掛けると、ヤギが小屋の入り口に集まってきて我先にと押し合いへし合いしている。アントニオさんが1匹ずつ順番に迎え入れ、搾り終わったヤギは小屋の奥へと流れていき、外へ出る仕組みだ。
こうして搾られた乳をチーズにするのはアントニオさんの奥さんのカテリーナさん(偶然にもロベルトさんの奥さんと同じ名前)の仕事だ。ウシの乳と混ぜて、布で漉しながら銅鍋に入れ、低温で沸かしつつレンネット(凝乳酵素)を加えて固めていく。表面が固まったところで一度十字を切って混ぜ合わせ、頃合いを見て手編みの藁の籠へ移して形を整え、水分を絞っていく。搾り出された乳清を再び温めて今度は小さなプラスティックの籠に入れ水分が切れて出来たのがリコッタだ。
このカンティーナ(貯蔵庫)にチーズはほとんど残っていない。出来たチーズの行き先は、知り合いのシェフへ売る分と自分たちが食べる分、それ以外は物々交換をしてほかの食材を手に入れる分とすべて決まっている。自給自足生活が基本らしいのだ。理想的だと思った。
自家製のチーズ、ハム、サラミ
朝の作業が終わると自宅の横にある部屋に朝食を用意してくれていた。部屋の天井から自家製のサラミやプロシュットがぶら下がり、床にはオリーヴオイルとワインのタンクが置かれている。赤いチェックのクロスが敷かれたテーブルにはさっき造ったリコッタとヤギのチーズに、ハム、サラミの皿が並び、カテリーナさんが週3回は作るという特製クロスタータ(タルト)もある。この日はアプリコット味のマルメラータ(ジャム)だった。タンクからデキャンタに移したワインをコップに注ぎ、お疲れさまのワインと共にまずはリコッタをいただく。ほんのりと温かく乳のいい香りは出来立てたてならでは。ヤギのチーズも、ハムやサラミも貴重な食材と思えばよりおいしく、ありがたみを感じられ、シンプルながら最高に贅沢な朝食だった。
ちなみに、当時8歳だった少しおしゃまな息子のロレンツォ君は、すでにその歳で大きなトラクターを運転していた。驚いたと同時に、彼はなんの迷いもなくこの生活を継承していくのだと思った。
アルブレーシュの味
カラブリアの北部コゼンツァ県にはアルバニア系イタリア人、アルブレーシュ(アルバレシュ)が暮らす村が今もなお3〜40ほど残っているという。600年前にバルカン半島からやってきた彼らは、もともと価値観の違いからイタリア人と深く関わることなく、独自の文化を守ってきた。そんなアルブレーシュ(アルバレシュ)の暮らすチヴィタという「イタリアの最も美しい村」にも選ばれている村を訪ねた。新市街は300年前、旧市街は600年前にできたという歴史ある村だ。この村にある昔ながらの家屋は、1階に家畜を飼うための部屋があり、大きな扉が真ん中にある。2階には人の暮らす部屋があり、左右に対象に配された小さな窓と、その真ん中にある煙突が人の顔のようにも見える。そんな家屋がちらほらと残っている。
歴史があり雄大な自然に囲まれた村には観光客もよく訪れるようだ。B&Bを運営しながらガイドを務めるステファニアさんに自然公園内を案内してもらいながら、軽くトレッキングした。眼下には深く切り込まれた谷、目前には大きな恐竜の顔のような崖。近くに行けば行くほど迫り来る岩山の凄さ、雄大さを実感した。岩山を背景に撮ったステファニアさんは本誌Vol.34の表紙を飾っている。
B&Bに戻ると、近隣の村からアンナさんが来ていた。本来はアンナさんの暮らすルングロという村へも行く予定だったが、スケジュール的に難しくなったため彼女からやって来てくれたのだ。アンナさんはアルブレーシュ(アルバレシュ)の文化や料理を伝える活動をしている。地位のある人のようだが、気さくで大らかな感じ(ある意味迫力もある)に親しみを感じる。早口でまくし立てるように話しながらパスタを作り始める。ここでできる範囲のことを目一杯、まるで自分の家のように自由に。食卓のテーブルの上に粉を広げた。水とオリーヴオイルを混ぜてこね始めた。さすがに手際がいい。ひと塊にしたら十字を切ってしばらく寝かせる。その間に「アペリティーヴォしましょう(軽く食前酒でもしましょう)」と持参した大きな完熟トマトを輪切りにして皿に広げ、ナイフでニンニクをみじん切りに、バジリコは手でちぎってトマトの上に散らして、塩とオリーヴオイルをかけて「さあ」と差し出した。コップに地元のリキュールを注いで「サルーテ!」ひと切れのトマトと雑穀パン、それだけなのに、「うまいなぁ」とスタッフと顔を見合わせた。
しばらくして寝かせていた生地がいい感じになったので、パスタを作り始める。今度は麺打ち台を出してきて、四隅を椅子の上に載せた。まずは適当な大きさの生地を切り出し、手で延ばして大きな輪を作る。束ねてまた延ばす。それを繰り返しながらちょうどいい太さになったら切る。手延べそうめんのようだ。これはアルブレーシュ(アルバレシュ)に伝わるシュットリアというパスタで、持参してきた(すべて持参。笑)ピリ辛の白インゲン豆のソースにからめて、空揚げした乾燥パプリカ(クルスキ)を振りかけて食べる。軟らかく炊いた豆とモチっとした食感のパスタ、この素朴でシンプルな庶民の味は永遠だなと思った。
ボナヴィータさんのアトリエで食べたランチ
スクイラーチェのトラットリアで食べた手打ちパスタ
そう言えば、初日にアマンテアの特産品でもある干しイチジクの加工販売をしている「Fratelli Marano」(フラテッリ・マラーノ)の3代目ダビデさんの取材をした後、旧市街にある友人のアーティスト、ボナヴィータさんのアトリエで軽くランチをしようと案内された。アトリエは廃墟を利用した空間で、3階までの各部屋には作品が所狭しと飾られていた。その1階の部屋に準備されていたのは、近海で獲れたイワシの塩漬けのパニーニ(サンドイッチ)に、潰したオリーヴのマリネにチーズ、赤ワインにアプリコットを漬けたサングリアと、これも極めてシンプルだったが、訪ねてきた別の客も引き込みちょっとした楽しいランチタイムとなったことを思い出した。
よくよく振り返ってみれば、初日に取材したマンマ、アンナの料理もナスやトマト、ジャガイモ(シーラ山特産)を使ったものだったし、取材で立ち寄った小さな町スクイラーチェのトラットリアで食べた手打ちパスタも、豆とフェンネルのソースの素朴なものだった。アルブレーシュ(アルバレシュ)の人たちと小麦狩りをした後のピクニックでは、自分たちの小麦粉を使った焼いたピッツァを食べた後、籠いっぱいに入ったサクランボを、彼らの真似をしてわしづかみにして食べた。冒頭のカテリーナさんが心配したほど、ハムやサラミ、肉類ばかりをたくさん食べたロケではなく、取材中はカラブリアの土地の旬をたくさん食べていたのだ。そしてそれがそのときの豊かな味の記憶となって、今もずっと僕の心に残っている。
長靴で例えるイタリア半島のつま先のあたりにあるカラブリア州は、東にイオニア海、西にティレニア海に囲まれて、南イタリアらしく透き通った海の美しさがよく知られていて、最近ではトロペアが「イタリア美しい村NO.1」に選ばれるなど注目されている。また海だけではなく、内陸には山も多く、冬場はスキーも楽しめる。
ピッツァや自家製のサラミ、季節の果物などが並んだピクニックでの食事
そんなカラブリアの食の基本はクチーナ・ポーベラ(*)だ。「ポーベラ」は貧しいという意味の言葉だが、ここでは貧しい食事ということではなく、食材を無駄にしない、旬の食材を使った地産地消の料理のことを意味し、自然環境に則した保存食作りもそこに含まれる。特産品の唐辛子を使ったスピリンガのンドゥイア(唐辛子を混ぜ込んだサラミ)やチェトラーロのロザマリーナ(シラスの唐辛子漬け)などはカラブリアならではだ。また寒暖差のあるシーラ山地では、味の濃い野菜が採れ、特にジャガイモがうまい。6月頃のトロペアは特産の赤タマネギの収穫が最盛期だ。収穫地一帯は掘り出した赤タマネギで真っ赤な絨毯を敷いたようになる。
「旬を食べる、シンプルでおいしい」は、地理的な不便さもあり独自の食文化を育み、守ってきたカラブリアの食の最大の特徴だろう。で、もはやいちばんぜいたくなのだ。これでいい。いや、これがいい。(つづく)
*クチーナ・ポーベラはカラブリアだけではなく、イタリア全土でよく語られることでもある。※写真:遠藤素子 endo motoko
※フリーマガジン『イタリア好き』の公式ホームページ
https://italiazuki.com/★松本浩明さんのインタビュー記事「だから、イタリアが好き!」は
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