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食べるしあわせ
旅して、食べて、イタリア フリーマガジン『イタリア好き』編集長
松本浩明
第1回 ブルスケッタがいつも最高のごちそうでありますように
 各州や一つのテーマにフォーカスし、そこに暮らす人々と食を通してイタリアの知られざる魅力を紹介しているフリーマガジン『イタリア好き』。2010年の創刊以来、自らの足でイタリア全土を取材し、観光情報誌とはひと味もふた味も違う日常と素顔を発信し続けている“マッシモ”こと松本浩明さんが出会った、イタリアのおいしいもの、そして魅力的な人々……。思い出に残る「料理」と「出会い」を綴る旅エッセイがスタート!

 『イタリア好き』というフリーマガジンを2010年から発行し、ほぼ毎号取材に行って各地の魅力的なイタリア人の姿を追い、その土地の食や生産品を通して本誌で紹介してきた。ご存知のとおりイタリアは長靴のように縦に長く、海に囲まれ、地理的にも、歴史的にも地方に独特の食文化が育ってきたので、食や生産品を取材すると必然と垣間見えるのは、土地のもつ特性や歴史的背景だ。おもしろいことに、そこで暮らす人がほぼ皆「オラの村がいちばん」と自慢するものだから、その食や土地の魅力がさらに伝わってくるのだ。

 現在発行中の最新号(vol.56)はオリーヴオイル特集。といってもオリーヴの品種やオイルの味わいや特徴、蘊蓄はまったく語っていない。ウンブリア州というオリーヴオイルの名産地を訪ね、オリーヴオイルとはどのような存在なのか、生活の中でどのように関わり、どういう思いをもって接しているのか、そこに暮らす人々の姿を通して映し出した特集だ。

ウンブリア州の州都ペルージャにあるフラントイオの3代目、ノエミオ・バッチさん


 取材は収穫期の2023年11月。1年間育ててきたオリーヴがオイルへと姿を変える季節。
 本誌で紹介しているフラントイオ(搾油所)の3代目になるノエミオさんは、ペルージャのグアルドカッターネオというコムーネに畑を35ha所有している。そこではウンブリアを代表するモライオーロ種を中心に、フラントイオ種とレッチーノ種など約1万本のオリーヴを育てている。畑には樹齢100〜200年にもなる古い樹もあり、少々自慢げに案内してくれた。乾いた葉や枝がパキパキと足元でいい音を立てる。

 太い幹の一部に大きな穴が開きながらも四方に枝を広げる見事な古木の前で、やおら自社のフラントイオとしての歴史について語り始めると、ビデオを撮るように促してくるノエミオさん。少し頭の固そうな頑固親父的な面持ちの彼が流暢に語るその姿に自信と誇り、そして土地を愛する気持ちの強さを感じるのだ。すでに収穫を終えた隣のブドウ畑はきれいに紅葉し、天気もよく丘からの眺めもすばらしい。「うちのオリーヴはこういう環境で育っているんだ、だから最高なんだ」とドヤ顔で言う。こういう愛嬌がイタリア人のおもしろさでもあり、魅力の一つだと思う。

 オリーヴの収穫は主に手作業で行う。大きな機械で幹ごと掴みユサユサとゆすって実を落とす地域もあるが、連なる丘に畑が点在するここでは難しい。小さな道具を使って、家族や友人、知人など多くの人に手伝ってもらいながら一本いっぽん手作業で実を落としていく。下に敷かれたグリーンのネットに落とされた実は直ぐに集められてフラントイオへ運ばれ、24時間以内にオイルになるのだ。この日も何人もの人が収穫作業をしていた。大きな四角いカゴに詰められたオリーヴが日差しを受けて眩しいくらいに反射している。

収穫したオリーブを手に取るノエミオさんと息子のマルツィオさん

 収穫されたオリーヴは酸化を防ぎ、鮮度を保つためにフラントイオはステンレス製の最新の機器を揃え、27℃以下の低温を保ちながらできるだけ早く(ただ早ければいいということでもないが)搾油していく。工場内は大きな音を立ててフル回転だ。そうやって香り高く、キラキラと輝くエクストラ・ヴァージン・オリーヴオイルができる。ノエミオさんはグラスに注がれたエメラルドグリーンの搾りたてのオリーヴオイルをかざしてみせた。ここでもドヤ顔だ! このオイルはまだ実が若いグリーンのときに収穫したオリーヴから搾ったもので、香りが高く、ピリッと辛い。1年間の労を労い、工業製品としてのオイルではなく、育て上げたある種一つの作品としてのオイルに喜びを感じる瞬間だろう。収穫時期によって味わいや楽しみ方も違う。

ノエミオさんの妻のベルナルデッタさんと料理上手のサンドロおじさん

 昔ながらのフラントイオには搾油までの時間を過ごす待合室がある。たいてい大きなテーブルとキッチンに、使い込まれた暖炉がある。そこで軽くワインを飲んだり、ときには暖炉の火で煮込まれたマンマの料理をつまんだりしながら、近所の生産者仲間とオリーヴの出来や世間話をするのだ。今回は取材ということもありノエミオさんの家族と親族が集まっていた。この日はノエミオさんの妻ベルナルデッタさんと協力しながら料理上手のサンドロおじさんが、何時間もかけて地鶏を丸々1羽焼いていた。畑に向かう前に立ち寄ると、「今日はあとでこれを食べるから」と見せてくれた。このときから昼食の期待は高まっていた。


 畑から部屋に戻ると、テーブルはすっかりセッティングされ、ノエミオさんが自家製のワインを持ってきてコップに注いでくれる。ワイングラスなんてしゃれたものじゃない。僕はこういうシーンで飲むこういうワインが大好きだ。そして暖炉の火で炙られた塩無しパン(ウンブリアやトスカーナでは塩の入っていないパンが伝統的)の載った皿が真ん中にドンと置かれる。先ずはブルスケッタだ! 先ほどの搾りたてのオリーヴオイルをパンにたっぷりとかけ、ひとつまみの塩を振り、手づかみでかぶりつく。パンがサクッといい音で砕けると同時に、オリーヴオイルの香りが口の中へと広がり、後から喉の奥をピリッと刺すように辛味がやってくる。これがたまらない。「うまい!」まさにこの瞬間、収穫時期だけに味わえる新鮮なオリーヴオイルのブルスケッタだ。自家製のワインを流し込む。何枚でもいける、シンプルなのに最高のごちそうだ。

 生まれたときからいつもオリーヴオイルが身近にあったノエミオさんは、ブルスケッタを食べる瞬間をもう何度も経験してきたのだろう。でもそれは「うまい」だけではない、代々引き継がれてきた味と信頼ものしかかる。「パンやワインと同じように、オリーヴオイルはなくてはならないもの。この地で生まれ育ったからにはその伝統を守り、伝えていくことが最も大切なことだ」と言う。良質のオリーヴオイルを作り続け、届ける使命でさえあるのだと。ノエミオさんのオリーヴオイルを買った人が、自宅でブルスケッタを食べた瞬間に、今年も変わらずにうまいと思ってくれるように……。

 たかがブルスケッタ。
 されどブルスケッタ。     (つづく)

※写真:藤原涼子(フィレンツェ)
※フリーマガジン『イタリア好き』の公式ホームページ https://italiazuki.com/

★松本浩明さんのインタビュー記事「だから、イタリアが好き!」はこちら⇒
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【まつもと・ひろあき】
1965年神奈川県横浜市生まれ。広告会社、出版社勤務を経て、2006年に株式会社ピー・エス・エス・ジーを設立。2010年3月、フリーマガジン『イタリア好き』を創刊(年4回発行)。イタリアをテーマに、観光地を巡るのではなく、その土地に根ざした食を味わい、地元の人たちとふれあう旅を提案している。著書に『イタリア好きのイタリア』(イースト・プレス)がある。 
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