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食べるしあわせ
里山から目指す「食の循環」 「土とシェフ」代表
五十嵐 創
第2回 つながり始めた循環の輪
 都心から電車で1時間足らずとは思えない、里山の自然あふれる相模原市藤野地区。料理人でありながら移住して農業に取り組み、食の循環をつくろうと奮闘する五十嵐創さんの活動の場です。実際に農業を始めると、料理人として当たり前のように扱ってきた野菜や農業のあり方などについて多くの気づきがありました。

――第1回で「料理の三大原則は風土と風味と風景」と聞きました。料理人として、また農家として、五十嵐さんの「風土」である藤野の地は大きな意味を持っているのではないでしょうか?

豊かな里山の自然に恵まれた藤野

 藤野は、「自然環境のよい静かな場所で子育てしたい」と妻が探した場所です。農薬や化学肥料を使わずに栽培するオーガニックの食材や、持続可能な循環型社会などに関心を持つ人たちが多く、移住して5年ほどが経ち、僕もいつの間にか溶け込んでいるように感じます。
 ですが当初、ここで農業を始めることに周囲は反対でした。当然ながら「料理人なのになぜ農家になるの?」と心配してくれたのです。でも僕は、風土というものを理解するためには、料理の基礎にある土と向き合わないと納得できないと思ったのです。

 とはいえ、種まきすらしたことがありません。どうしたものかと考えて、「自分が食べておいしい野菜をつくる人たちに農業を教えてもらおう」と思いました。藤野には、オーガニック野菜の生産農家が自分たちで朝採り野菜や加工品を売る「ビオ市」という場があります。そこに出店している農家の野菜をいろいろと食べてみたところ、同じ野菜でもそれぞれ個性や美味しさがあって驚きました。一人は相模湖の近くにある「ゆい農園」の油井敬史さん、もう一人は「みやもと農園」の宮本雅久さんです。

ビオ市に並ぶ野菜(写真提供:五十嵐創)

 油井さんがつくったコマツナを初めて食べたときには、「これは本当に野菜なのだろうか!?」と驚きました。味が濃くてエグミがまったくない。宮本さんのキュウリは、水っぽさだけではないうま味と香りの濃厚さに加え果物のような奥行きがありました。2人のつくる野菜はこの地域でも評判の野菜です。都内に出荷するためではなく、地域コミュニティで買えるように心がけているところも本当に素晴らしいと思いました。

 正直なところ、それまでの僕はオーガニック野菜に対して「虫食いやエグミがあるのに値段が張る」という印象を抱いていて、料理人としてあまり評価をしてきませんでした。築地や豊洲に通い、目利きして最高級の食材を選んできたつもりだったのに、こんなにおいしい野菜を食べたことはなかったのです。それで、「この人たちから農業を教えてもらおう!」と決めました。油井さんも宮本さんも、つくる野菜の味わいに似てまっすぐでものすごくいい人たちです。

 それからは電話をかけたり、時には押しかけたりして、あれこれと聞く日々が始まりました。そうして野菜のつくり方や農業について教えてもらううちに、彼らには野菜づくりへの向き合い方に共通する視点があることに気づいたのです。毎日、畑に出ていると天候や気温、作物の育ち具合など近視眼的になるものです。それが、彼らの場合は常に視点が自然全体に注がれている。たとえば、雑草が伸びていれば土に力があるのだと判断し、その草の種類を見て土壌の状態を把握する。あるいは、例年よりフキの枯れるのが遅ければ夜はまだそう寒くならないよ、といった具合です。
 最も驚いたのは、2人とも農薬や化学肥料を使わないだけではなく、動物性の有機肥料も一切入れず、その畑の周りに生えている雑草や間引きした作物などを丁寧にすきこんで土づくりをする「自然農法」で野菜をつくっていたことでした。この人たちがつくる野菜は本当においしい。僕は、農業の本質は土づくりにあることを身をもって学びました。

――野菜のおいしさを左右するものは、育つ土の状態にあるということですね。

 その通りです。どのような土でつくられたのか、野菜を見ればわかるんですよ。例えば、おいしいニンジンの見分け方をご存じですか? 僕も料理人として色や皮がきれいなものがおいしいと教わってきたけれど、実は違う。ニンジンには横縞があるでしょう? あれは根が出ているところで、おいしいものはその幅が狭くて均等なのです。
 化学肥料を使った土で育ったニンジンは、肥料を入れた時期だけ横縞の幅が広くなります。鶏糞や牛糞といった有機肥料を使うと、後からじんわり栄養分がきいてくるけれど突然途切れてしまうので横縞の幅が一様ではありません。それが、油井さんや宮本さんのように動物性の堆肥すら入れずに畑の周りに生えている植物を梳きこんでつくった土なら、横縞の幅が狭くて均等でおいしいニンジンができるのです。
 油井さんたちのように自然農法でつくられる野菜は、味が良いだけではなく安全で安心です。だから化学肥料を使う一般的な慣行農法でつくられた野菜とは、料理の方法も変えることができます。

五十嵐創さん

 たとえばホウレンソウの場合、たっぷりの湯に塩をいれてよくゆでないと「エグミ」が残りますよね。その正体は野菜の中に含まれる硝酸態窒素という物質。植物にとってなくてはならない栄養素のひとつで、根からこの物質を吸い上げて蓄えます。化学肥料として使うと野菜は早く成長して色鮮やかに育つので、見栄えがよい野菜が重視される一般的な市場に向けて、農家はつい過剰に与えてしまいがちになります。でもその結果、余剰になった硝酸態窒素がエグミとなって蓄えられ、味わいが落ちるうえに虫も寄りやすくなり、さらに農薬を使わざるを得なくなるのです。

 一方、植物だけをすきこんでつくる土で育てる油井さんたちのホウレンソウは、土の中にいるバクテリアなどの微生物の力で分解された硝酸態窒素をゆっくり根から吸収していくので、エグミが少ない。沸騰した湯の中に入れたら火を止めてフタをして2分ほど待ったほうが、それはおいしくゆであがります。化学肥料を使っていなかった江戸時代の料理書を見ても、ホウレンソウはグラグラ煮え立つようにゆでたりはしていません。

――安全・安心なうえにおいしいとなれば、消費者にとってはありがたいことずくめ。ですが、農薬や化学肥料を使わない農業に取り組む農家は、まだまだ少ないのではないでしょうか?

 草取りや虫よけなど農作業の多くは手間がかかり過酷で、僕も実際に農業に携わるようになって農家がどれほど大変なのかよくわかりました。料理だけをしていたころはお客さんから“おいしい”と言ってもらえたら素直にうれしかったし、そうしたリアクションが「次はもっとおいしいものをつくろう!」とやる気にもつながったものです。ですが、農家は野菜を出荷したらその先にいるはずの消費者の声を聞くこともありません。農作業は孤独でモチベーションを保つのも並大抵ではないし、野菜をつくって出荷するという一方通行の中では誰かに相談する機会も少ない。こんなに孤独で大変なら、手間がかからない農薬や早くきれいに育つ化学肥料を使い、少しでも農作業を楽にして収穫量を増やしたいという願う農家の気持ちもわかる気がしました。

五十嵐さんの畑にはトノサマバッタも遊びにくる

 また、オーガニック野菜は収入面でも大変厳しいのが実情です。価格が高めだといっても年収100万円をこえるのは全体の1割ほどで、俗に「100万円の壁」といわれるほど。油井さんや宮本さんのように、畑に生えた雑草や収穫後に残った作物をすきこむことで地力を生かした土づくりをしていると、春に植え付けるなら秋にはもう土の準備に取りかからなくてはなりません。だから1年に何度も作物をつくるのは簡単なことではありません。こうした手間のかかる農法ほど収穫量は少なく、膨大な農作業の中では自分が手塩にかけた作物のブランディングもままならない。まさに、おいしい野菜をつくることだけを追求する孤独な仕事です。

 僕も自らそうした農業の課題に直面し、「それなら、膨大な数のバクテリアがいる堆肥を使えば、もっと早く良質な土ができるのではないか」と考えました。実際に油井さんに試してもらったところ、土の状態が整うまでの期間が短縮されたのです。野菜の収穫量も増え、もちろんおいしさは変わりません。
 この堆肥を使った土づくりをより多くの人に知ってもらい、もっと多くの安全・安心でおいしい野菜をつくり食の楽しみを広げたい――。きつい農作業に追われる日々の中で、その思いは強まるばかりでした。(つづく)

――料理人として生ゴミ問題に立ち向かおうと農家になった五十嵐さんの思いは、“土づくり”を中心に食の循環をめざす新たな取り組みへとつながっていきます。最終回では、現在進行中の活動や、これからの展望などを聞きます。

(構成:白田敦子)
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【いがらし・つくる】
料理人、農家。「株式会社 土とシェフ」代表取締役。1984年、東京都生まれ。東京農業大学短期大学部卒業。父が開業した中華料理店「広味坊」の総料理長を務めた後、2018年に神奈川県相模原市藤野に移住。料理人と農家の領域を行き来しながら食の循環社会を目指し活動している。2021年『食のサステナブルAWARD』で金賞受賞。
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