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食べるしあわせ
キッチンで見つけた素顔のエストニア 旅する食文化研究家
佐々木敬子
最終回 「なぜ」から見えてくること
 食にまつわる「なぜなんだろう」「どうしてなんだろう」という疑問が解けてくると、その国の文化や歴史をより深く知ることができるのが面白いと話す佐々木さん。インタビューの最終回(第4回)は、たくましく生きるエストニアの人々の食にまつわるエピソードと、キッチンで出会った人々のことを伝えたいという佐々木さんの思いを語ってもらいました。


牛肉を焼くのが苦手な人々
 エストニアのレストランで牛肉のステーキを注文するときは、焼き方までしっかり指示することをおすすめします。何も言わないと、火が中までしっかり入ったウェルダンのステーキになってしまうのです。なぜなのでしょうか。この理由を解くカギはエストニアの歴史的な事情にあります。

 エストニア料理の特徴を聞かれると、私はよく「早い、安い、うまい」料理だと答えています。伝統的な料理は素材、調理、味付けのいずれもがシンプル。それにはエストニアという国がたどってきた、大国に翻弄された歴史が大きく影響しています。13世紀、デンマーク人がエストニアの地に進出し、首都タリンが築かれます。その後、ドイツ騎士団、スウェーデン、ロシアといった大国が代わる代わるエストニアを支配。1918年にようやく独立を宣言するものの、第二次世界大戦が始まると1940年にソ連領に併合され、1991年にやっと独立を回復します。

 時代によって支配した国は異なりますが、それぞれの国の貴族たちがエストニアに領地を持ち、エストニアの人々は彼らのために働かなければなりませんでした。労働者である彼らは、仕事の合間に手早く空腹を満たさねばなりません。そのため、安価な材料で手早く作れ、栄養のある料理が多くなったのです。豚はおよそ6カ月で肉用として出荷できますが、牛は飼育に1年以上かかります。育つ期間が長ければその分コストが高くなり、エストニアの庶民の食卓からは遠い存在になってしまいました。エストニア料理でおなじみの素材である豚肉は、しっかりと中心部まで火を通すことが必要です。そのため牛肉も同じようについついしっかり中まで火を通してしまい、ジューシーさと柔らかさに欠けたステーキになってしまうのです。

しっかり中まで火が通ったウェルダンのステーキ


 このステーキの焼き方に関して、思い出に残るエピソードがあります。日本からエストニア料理を調べに来ているということで、エストニアのとある料理学校に招待されたことがあります。料理学校には年齢も性別もさまざまな生徒が通っていて、そこで30人のエストニア人の生徒が牛ステーキを焼くところを見学させてもらいました。30人の中で、中がロゼ色になったレアで焼くことができたのはたった1人。牛肉はレアでも食べられることをその1人以外、誰も知らなかったのです。ちなみに成功した1人はフランスに滞在したことがあり、向こうでレアの焼き加減のステーキを食べる経験をしたそうです。牛肉を扱う経験が圧倒的に不足している――その理由をたどれば、エストニアという国の歴史が見えてくるのです。

エストニアで代表的な豚肉の一皿

百食は一見に如かず!
 「エストニアの料理ってどんな料理なのですか?」とよく聞かれますが、その答えを探してみると、この国の歴史を振り返らずにはいられません。先ほども述べたように、デンマークからドイツ、スウェーデン、ロシアと支配する国が変わるたびにそれぞれの国の食文化が入ってきて、北欧風やドイツ風、ロシア風の料理が生まれました。北欧とロシアの食文化が融合した黒パン、労働の合間に空腹を満たすために生まれたシンプルな豚肉料理……。
 過酷な歴史の中を生き抜き、風土に合わせながら残ってきた料理が、今のエストニアの料理なのです。その料理に私は、エストニアの人々のしたたかに生き抜く生命力を感じずにはいられません。「この料理はどうして生まれたのだろう」「どうしてこんな調理をするのだろう」。料理にまつわる「なぜ」を追求していくと、もっとその国を、そこに暮らす人々を知りたいという気持ちにつながっていきます。家庭のキッチンを訪れ、「なぜ」の答えがわかってくるときの面白さ。それにすっかり私はハマっているのかもしれません。

 エストニアのキッチンを巡るようになってから、私は日本でエストニア料理を教える教室を主宰したり、ウェブで情報を発信したりしています。料理を通してエストニアってどんな国だろう、と興味を持ってもらえればという思いから始めたことです。2022年夏にはエストニアだけでなく、ラトビアやリトアニアの家庭のキッチンも巡りました。この年はロシアがウクライナに軍事侵攻を開始した年でもあります。キッチンで人々と接していると、どの国でも皆がロシアからの脅威を日々感じていることがひしひしと伝わってきました。


 バルト三国のキッチンを訪れて、見たり、経験したり、感動したことを日本の人たちに伝えたい。その国の名前を聞いたら、そこで暮らす人の笑顔を思い出してもらえるようにしたい。それが今の世界には必要なのではないか……。その思いをますます強くしています。「百聞は一見に如かず」ならぬ 「百食は一見に如かず」です! これからもたくさんのキッチンを巡って、そこで暮らす人たちの思いを発信していきたいと思っています。(おわり)

―― キッチンを通してエストニアという国を見つめてきた佐々木さん。「今後はバルト三国に留まらず世界のさまざまな国のキッチンに飛び込み、その国の生活や文化、歴史を探る旅をしたい」と、これからの夢を語ってくれました。料理は世界共通の言語。キッチンを巡る佐々木さんの旅はまだまだ続きそうです。

(構成:小田中雅子、写真提供:佐々木敬子)

★「エストニア料理屋さん」のホームページはコチラ⇒ https://estonianavi.com/
★バルト三国の情報サイト「バルトの森」はコチラ⇒ https://baltnomori.com/
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【ささき・けいこ】
旅する食文化研究家。料理教室「エストニア料理屋さん」、バルト三国の情報サイト「バルトの森」主宰。会社員時代に香港駐在を経験したのち、帰国後は会社務めの傍ら世界各地を旅して現地の料理教室や家庭でその国の味を習得。退職後の2018年からエストニア共和国外務省公認市民外交官としての活動を始め、駐日欧州連合代表部、来日アーティストなどに料理提供を協力。企業、公共事業向けレシピ開発やワークショップ、食文化講演なども行う。著書に『旅するエストニア料理レシピ』、『バルト三国のキッチンから』(産業編集センター)。
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