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美しいくらし
日記のようにずっと描いてきた 画家
蟹江 杏
後編 画業25周年の、その先へ
 2011年の東日本大震災直後から福島の子どもたちへの支援活動に取り組み、絵本専門文庫の運営やワークショップなどを通じて子どもたちとアートをつなぐ活動を続けている画家の蟹江杏さん。美術館や全国の百貨店、画廊で個展を開催するだけにとどまらず、企業とのコラボレーションやアートプロデュース、絵本や小説、エッセイなどにも活躍の場を広げています。インタビューの後編では画業25周年を迎えた杏さんに、5月下旬から始まる記念新作展の見どころと今後について語ってもらいました。

――2024年5月30日(木)~6月5日(水)に東京・銀座の「Artglorieux GALLERY OF TOKYO」で開催される画業25周年記念新作展を皮切りに、全国7カ所で巡回展が開催されます。この記念新作展に「eyes(アイズ)」というタイトルを付けましたが、ここにはどのような思いが込められているのですか?

蟹江杏 画業25周年記念新作展「eyes」
2024年5月30日(木)~6月5日(水)
会場:Artglorieux GALLERY OF TOKYO

私には立体が見えていないらしい


 最近知ったのですが、私は生まれつき立体が見えていないらしいのです。「らしい」というのは、私にとっては幼いころからそれが当たり前だったから。階段の段差がわからなくて線のようにしか見えなかったり、距離感がつかめないから球技が嫌いだったり……。ほかの人と見えている世界が違うことを知らなかったのです。ところがある日、検眼士さんに「杏さんは立体においてのみ弱視なんです」と教えてもらい、そのことが私の作風にも影響を与えているのかなと思いました。この出来事をきっかけにあらためて自分の「目」について考える機会が増えたことが、記念新作展のタイトルに「eyes」と名づけた理由の一つになっています。

 私の目を通して描いてきた作品を振り返ると、そこに共通しているのは「生き物の命と人間のかかわり方の美しさ」です。幼いころから鳥や虫が好きで、暇さえあれば彼らを観察し、野鳥の羽や昆虫の動きといった「自分が美しいな」と思う気持ちを絵にしているのですが、それを「美しい」と感じること自体、実はすごいことだと思うのです。

 ここ数年は特に「なぜこれを自分が美しいと思うんだろう?」と考え、理論的に言葉にしようと試みてきました。そしてあるときわかったのは、自然界にあるものを「美しい」と感じる目は、人間の誰もが遺伝子として持っているということ。もちろん美しさの基準は人それぞれですが、一人ひとりに本能的に備わっている「自然の美への欲求」を、私は作品にしているのだと自覚できたのです。ですから、ぜひ25周年の記念新作展に足を運んでいただき、「生き物の命と人間のかかわり方の美しさ」を感じてもらえたらいいなと思っています。

――記念新作展の会場内では、画業25周年を記念したアートブック『eyes ―25th being an artist-』も先行販売されます。

 この本には、ここ数年の新作展のメインビジュアルとして皆さまに愛されてきた作品を収録するとともに、「私の目」「私の眼差し」をテーマにした“言葉”を、エッセイ・詩・短歌といったさまざまなスタイルで載せています。本自体がジャンルを超えたアートとして皆さんのお手元に届いたらいいなという思いを込めた結果、私のこだわりがぎゅっと詰まった一冊になりました。一枚の絵を見るようにページをめくり、一人ひとりが自由にイメージを膨らませてもらえることを願っています。

 実は、私にとって絵を描くことと文章を書くことは同じこと。中高生のころすでに絵と並行して童話や小説も書いていて、亡くなった父にはよく「杏はどっちに進むの?」と聞かれました。結局は画家の道に進んだのですが、その後いろいろな縁をいただいて、今は絵を描くだけでなく、絵本や小説、エッセイも書くようになりました。どちらも私にとっては大切な行為。ちなみに絵本が最も絵に近くて、小説やエッセイは絵を使わずに情景を伝えるので、「文章で絵を描いている」という感覚です。

 特に小説は文章のパズル的な面白さに惹かれています。頭の中にあるストーリーを文字にしていくのも楽しいのですが、物語の序盤から中盤で打った布石を最後に回収するために、こことここを移動させて辻褄を合わせよう……なんていう作業が好きだと気がつきました。決められたルールの中で想像を働かせることが好きなのだと思います。五七五七七の定型詩である短歌も同じです。パズル的な要素があるというか、性質に合っているというか。考えてみれば版画も同じ。「このくらいの溝を掘ったらこんな線になる」と計算しながら完成形にもっていく一連の流れは、どこかパズルに通じるものがあります。こんなところもまた、私にとっては絵も文章も一緒だと思う点です。


死ぬ間際まで描いていたい


 「絵を描いていく人生」が幼いことからの私の夢だったので、その夢を叶えられた今は、続けていくことが一番だと思っています。ぎりぎり死ぬ間際まで描いていられるように、これまで以上に健康に気をつけ、自分の気持ちも大事にしながら画家生活を歩んでいきたいですね。20代、30代のころは「画家としてもっと有名になりたい」「世間からちやほやされたい」といった野心も持っていました。そんな時代があるから今があるのですが、今はこれ以上を望むというよりも、絵を描ける日常があり、多くの方々に私の絵を見てもらって評価されたい――もちろん評価には「いい評価」「悪い評価」の両方があるとは思いますが、それをすべて含めて評価されたい、常にいい緊張感の中にいたいというのが私の願望です。

 本音を言えば、展覧会を開くのは非常に怖いことでもあります。描いているときはひたすら楽しくて、描くことでストレスもなくなっていきますが、いざ展覧会の会場に完成した絵を運び込んで並べてみると急に現実に引き戻され、「気にいってもらえなかったらどうしよう」「来年は展覧会をできないかもしれない」と不安でいっぱいになります。おかげさまでこれまで1年に1度、新作を発表する展覧会を開いてきましたが、いつも3日前になると必ずおなかが痛くなる。これを25年間続けてきました(笑)。

 それでも私の描いた絵を好きでいてくれる皆さんがいるから、作品を発表させていただけると思っていますし、この奇跡の積み重ねで25年間、画家として歩んでこられたことに感謝の気持ちでいっぱいです。この先も変わらずに私の歩みを皆さんに見守ってもらえたらうれしいです。(おわり)

―― 「かもめの本棚」が杏さんに初めてインタビューしたのは今から約10年前。そのときに出会った、少女がそのまま大人になったようなきらきらとした黒目がちな眼差しを、今でもずっと持ち続けている杏さん。その輝く瞳が見つめる先には何が待っているのか――画家・蟹江杏の画業25年のその先を、これからも見続けていきたいとあらためて思いました。

(構成:宮嶋尚美)

蟹江杏 画業25周年記念新作展「eyes」


次なる杏の世界の始まりを彷彿とさせる最新作を一挙初公開。作品を購入した方には作家直筆サイン入り25周年記念アートブック『eyes―25th being an artist-』のプレゼントも。

会期:2024年5月30日(木)~6月5日(水)
時間:10:30~20:30(最終日は18:00まで)
会場Artglorieux GALLERY OF TOKYO(東京都中央区銀座6-10-1 GINZASIX 5F)

定価2,420円(税込)
2024年6月6日発売

《新作展会場内で先行販売》


画業25周年記念アートブック

eyes

―25th being an artist-』
蟹江 杏 著


生命力あふれる線と色で、人々を唯一無二の「あんずワールド」へと誘う画家・蟹江杏。その画業25周年を記念して近年の代表作を収録。エッセイ・詩・短歌とさまざまなスタイルで語られる「言葉」を通して、画家の見つめる世界に迫る珠玉のアートブック。

詳細はコチラ⇒

《好評既刊》


『あんずとないしょ話』

子どもたちの心の奥底にある本音を、創作活動の原点でもある自身の子ども時代を振り返りつつ、版画と感性あふれる文章で描き出す。ミュージシャン・石川浩司さん(元・たま)との対談も収録。

『あんずのあいうえお』
「あ」から始まる「いのちの名前」。はじめて50音に出会う子どもたちも、もう一度50音に再会したい大人たちも、杏さんが描くひらがな50音の世界を旅しよう!
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【かにえ・あんず】
画家。東京都出身。「NPO法人3.11こども文庫」理事長。「自由の森学園」卒業。ロンドンで版画を学ぶ。美術館、全国の百貨店や画廊で個展を開催。小説や絵本、エッセイなど著書多数。企業とのコラボレーションも多数手がけている。東日本大震災以降は、被災地の子どもたちに絵本・画材を届ける活動に携わり、福島県相馬市に絵本専門の文庫「にじ文庫」を設立。文部科学省復興教育支援事業のコーディネーターを務めるなど、全国の子どもたちとアートをつなぐ活動を展開している。これらの活動は、2021年にNHK BS1スペシャル「10年目の約束~福島の子どもたちが描いた“未来”~」で紹介された。雑誌「pen」クリエイターアワード2021「日本と世界を変えていく、2021年最も輝いた7組」で審査員特別賞を受賞。2023年、絵本『ハナはヘビがすき』(福音館書店)が「第14回ようちえん絵本大賞」を受賞。2024年5月末に初の小説『あの空の色がほしい』(河出書房新社)、6月に25周年記念『eyes -25th being an artist』(東海教育研究所)を刊行予定。
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