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かもめアカデミー
海獣たちが教えてくれる島国の多様性 国立科学博物館研究主幹
田島木綿子
第3回 ストランディング個体は情報の宝庫
 「クジラの先生」として親しまれている海獣学者・田島木綿子先生の研究拠点は、国立科学博物館筑波研究施設。その仕事は、主に「標本回収」「研究」「学習支援・教育普及」の3本の柱からなるのだそうです。研究と学習・教育についてはよくわかりますが、「標本回収」とは何ぞや? 田島先生の本領がひときわ発揮される現場仕事に迫ります!

――上野の国立科学博物館で展示されているマッコウクジラの半身模型付全身骨格標本は、なんと体長約14m! その巨大な標本模型は大きな話題を呼びました。一体、どうやってつくったのですか?

東京・上野にある国立科学博物館の地球館に展示されているマッコウクジラの頭部内部模型(提供:国立科学博物館)

 あれは2005 年の夏に鹿児島県の海岸に打ち上げられた個体です。当初は生きていたのですが、救護の甲斐なく数時間後に死亡した個体です。
 クジラなどの海洋生物が浅瀬で座礁したり、海岸に打ち上げられる現象を、ストランディング(stranding=漂着、座礁)」といいます。たまにテレビのニュースなどで話題になりますよね。ですが報道などで取り上げられるのはごく一部で、日本の海岸には年間300件ほどのストランディングが報告されています。その大半が海に戻れず命を落とし、死体が漂着することもしばしばです。

 ストランディングの発生は予測不能なのですが、ひとたびストランディングの報告を受けると、予定業務は中断か延期せざるをえなく、急いで現場に駆けつける準備に取りかかります。死亡個体は時間とともに腐敗が進むため、地元自治体の判断で粗大ごみとして処理することもあります。ただ、その死体は実に多くの事を我われに教えてくれる、貴重な情報の宝庫でもあります。そのため、1つでも多く調査できるよう、急いで現場にかけつけます。

大須賀(静岡県掛川市)に打ち上げられたマッコウクジラ

 とはいえ、報告されるすべてのストランディング個体を調査することは、残念ながらできない現状もあります。連絡をいただいても、タイミングが合わず対応できない個体や、現地に行く予算が底を尽きていることもあります。年間では平均50頭前後、我われが直接対応していますが、この数字をもっと増やしていけるよう努力しています。

 なぜ彼らはストランディングしてしまうのか? その原因や死因はどこにあるのか? 私自身はそれが知りたくて、現場で個体と向き合います。学生時代は、それらの原因を病気という観点から追及していけばゴールは見えると思っていましたが、いざ打ち上げられた個体を調査してみると、原因は不明なことが多く、いろいろな要因が絡まっている場合もあります。そもそも、彼らが病気に罹患していることを判断するためには、健康な状態を知らないとわかりません。そのためにも、多くの個体を繰り返し調査して、確認する必要があります。
 しかし、大型個体では、内臓に到達する前に腐敗が進んでしまい、そのチャンスは限られています。ストランディング現場では、まだ知らない新しい情報を得ようと必死に対応していますが、そうそう毎回得られるという訳ではないのが、世の常です。

――この数年、日本沿岸のストランディングで数の変化はあるのでしょうか?

茨城県の海岸に漂着したイチョウハクジラ

 数の変化はほとんどありません。日本の場合、ストランディングに対応する公的機関はないので、私が所属する国立科学博物館や全国の自治体、水族館や博物館、大学やNPOと協力して対応しています。300件という数は報告例なので、報告してくださる人の数に反映されます。そのため、報告例に継時的な変化がないということは、報告してくださる人の数が増えても減ってもいない、ということになります。おそらく、人知れず海岸に打ち上がり、海の藻屑となる海獣たちは、まだまだいるのだと思います。それなら各地に定点カメラやライブカメラをつけておけばいいのかもしれませんが、「死体待ち」というのも、なんだかね、と思ってしまい……(笑)

 一人でも多くの方に、このストランディングという現象を知っていただき、もし海岸でストランディング個体に遭遇したら、地元の自治体や近くの水族館・博物館に一報を入れていただきたいと思います。国立科学博物館のホームページには、私のメールアドレスや電話番号も記載しています。ただし、大型個体の場合は危険を伴うこともあるので、むやみに近づかず、専門家の指示を仰いでください。

イルカが集団で座礁してしまうこともある

 欧米では、ストランディング個体の対応への意義や理念が古くから広く認識されたため、情報収集や調査を体系的に管理するシステムが、早く構築されています。たとえば英国では、14世紀からチョウサメと鯨類は「王の魚(Royal fish)として特別扱いされてきた歴史があり、20世紀になると鯨類のストランディングは大英自然史博物館が管理するようになり、現在は年間600件ほどの報告があります。
 また、かつての捕鯨大国・米国はその時代の反省を糧に、1972年に大統領直下の「海棲哺乳類保護法(Marine Mammals Protection Act)」が制定され、これ以降、海の哺乳類の保護活動や国内のストランディングネットワークが国をあげて急速に整備され、調査や研究のインフラや資金は今や世界一となりました。アジア圏でも、ミャンマーやカンボジア、タイ、台湾、フィリピン、インドネシア、マレーシアなど、海岸線のある各国でストランディング個体の調査・研究が活発に行われています。

 現在、地球温暖化や環境破壊、海洋プラスチックといった環境問題への関心が世界的に高まり、日本においても、ストランディングの情報を全国各地からいただくようになりました。ストランディングしたクジラの巨体を目の当たりにすると、誰もが「おお!」と驚き、まだまだ知らないことの多い、海からやってきた同じ仲間の生命に、素直に畏怖の念を抱きます。どこかの浜辺でストランディングという現象に出会った子どもたちが何かを感じ、将来的に海獣を研究したいと思ってくれたら、それほどうれしいことはありません。

――ストランディングの現場から運んできた骨が、こんなに見事な標本になるのですね。

 ここまでくるには、いくつかの工程を経ます。まず、骨からできるだけ筋肉や腱などを取り除き、ひたすら煮ます。国立科学博物館の筑波研究施設には哺乳類の骨格を煮るための「晒骨機(せいこつき)」が2台あり、我われは「なべ」と呼んでいます。このなべは、体長5m前後のクジラを煮ることができるように設計されています。

哺乳類の骨格を煮るための晒骨機
(撮影:編集部)

 しかし、10mをこえる大型クジラの骨格は筑波研究地区のなべには入らず、煮ることができません。そのため、発見場所の自治体の方と話し合い、ストランディング現場やその周辺の海岸に埋めて、少なくとも2夏放置します。海岸に埋める場合も、丸ごとそのまま埋めるのではなく、ひととおりの調査をし、骨もなるべくバラバラにして、綺麗に静置して埋めます。骨格に2mほどの盛り土ができるくらいの深さの直方体の穴を掘り、シートを敷いて骨を並べ、埋め戻しが完了すると、その場所情報をGPS機や写真などで記録し、数年後の発掘を待ちます。今も全国の浜辺には、発掘を待つクジラの骨が眠っているかもしれません。

 このように適当な工程を踏み、適切に処理された標本は、適切に保管すれば100年、200年後まで残ります。これも博物館としての大事な使命です。私が作成した標本を後世の人たちが研究し、また新たな発見をする。そう思うとワクワクしてしまうのです。 (つづく)

――田島先生が「今日はちょうど骨を煮てるんですよ」と、特別に晒骨機を見せてくれました。大量のお湯で煮られている骨は、まるでお風呂に入れてもらっているように気持ちよさそう。これからピカピカの白い骨格標本になることでしょう。最終回は、海獣たちと私たち人間との共存について考えます。

(写真提供:田島木綿子、構成:白田敦子)
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【たじま・ゆうこ】
1971年埼玉県生まれ。国立科学博物館動物研究部脊椎動物研究グループ主幹。筑波大学大学院理工情報生命学術院准教授。博士(獣医学)。日本獣医畜産大学(現・日本獣医生命科学大学)獣医学科卒業後、東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程修了。同大学院の特定研究員を経てアメリカのMarine mammals centerやテキサス大学で病理学を学ぶ。2006年から国立科学博物館動物研究部に所属。専門は海棲哺乳類学、比較解剖学、獣医病理学。著書に『海獣学者、クジラを解剖する。』(山と渓谷社)、『海棲哺乳類大全』(みどり書房)、監訳に『イルカ解剖学』(NTS出版)など。
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