第2回 トスカーナのグランドキャニオン【カステルフランコ・ディ・ソプラ】
本連載第1回で紹介した村、ローロ・チュッフェンナを訪ねるために地図を見ていたとき、BALZE(バルツェ)という言葉に目が留まりました。イタリア語で断崖絶壁を意味するこの地形は、トスカーナ州では西部のヴォルテッラ近郊とフィレンツェ南東部に広がるアルノ川渓谷エリアで見ることができます。特に後者のバルツェは約200万年前に存在した湖の堆積物が風や太陽、雨にさらされながら、長い時間をかけて形づくられた自然の芸術。高さ100mに及ぶものもあるとか。その稀有な美しさからか、レオナルド・ダヴィンチが名画「モナリザ」の背景に描いたといわれています。
ローロ・チュッフェンナを訪問したときは車道から遠目にバルツェを眺めただけでしたが、その壮大な姿が心に残り、「もっと間近で見てみたい」という思いが次第に膨らんでいきました。そこで春のある日、ふと思い立ち、家族でトレッキングに出かけることにしたのです。
目的地はバルツェ自然保護エリア内にあるイタリア・アルペン・クラブのトレッキングコース51番。通称「堀コース」と「硫黄水コース」から成る全長約6キロのコースです。難易レベルは低く、所要時間は2時間と短めで、初心者で小さな子ども連れの私たちにはピッタリです。さらに両コースを通して歩く場合、出発点と到着点がどちらも「イタリアの最も美しい村」協会※に加盟している村、カルテルフランコ・ディ・ソプラというのも村好きの私にとってはうれしいことです。その日はお昼前に城壁の外に車を止め、村の城門からバルツェ通りを抜けて往路の堀コースから歩き始めました。

バルツェの断崖を眺めながら歩く
見どころはもちろんバルツェですが、道の脇に咲く季節の花々も美しく心を和ませてくれます。そんなふうに景色を楽しみながら歩いていると、いきなり目の前に背の高いバルツェが姿を現しました。その瞬間一気にテンションが上がり、子どもたちは小走りで先へ先へ……。初心者向けのコースとはいえまだ序盤なのに!

トレッキングコースのマップ
堀コースという名のとおり、道のそばにはちょろちょろと水が流れている箇所も多く、数日前の雨の影響で足元はぬかるんでいました。慎重に足を運びながらも歩く途中では、茂った木の合間からひょっこりと顔を出す巨大なバルツェや、太陽の光を受けて青みや黄みを帯びながら表情を変えるその地肌に心を奪われます。道に迷わないか心配になっても、トレッキングコースであることを示す紅白の印がところどころにあるから大丈夫。さらにコースマップも一定間隔で設置され、スマートフォンの地図アプリと照らし合わせながら進めるので安心です。
そしてほぼ予定どおり、45分ほどで堀コースと硫黄水コースが交わる地点に到着。ここから出発する人も多いのか、周辺には車が何台か止まっていました。ちょうどお腹もペコペコでしたが、もう少し先に進み、バルツェが正面に見えるところまで足を延ばすことにしました。
原っぱにシートを広げて待ちに待ったランチタイムです。同じように考えていた青年グループや家族連れもいて、おしゃべりしたり、互いに写真を撮り合ったりして楽しみました。こうして偶然同じ目的でこの場所を訪れ、同じ景色を前に感動を分かち合える人たちと巡り会えることも、アウトドアの醍醐味なのかもしれません。

糸杉の並木と深い森が広がる、トスカーナの穏やかな景色
まだまだ元気いっぱいの青年グループは颯爽と再出発していきましたが、私たちはゆるやかな上りが続く復路の硫黄水コースに備えて、十分に休憩をとってから歩き始めました。目の前に広がるバルツェの風景は、アメリカのグランドキャニオンか、あるいはオーストラリアの大渓谷かと錯覚してしまうほどです。けれども道中のアグリツーリズモ(農園宿泊施設)や糸杉、オリーブ畑といったトスカーナらしい景色と混じり合い、いったい自分はどこにいるのかが分からなくなるような妙な感覚になるのでした。
出発してから約3時間、私たちはカステルフランコ・ディ・ソプラの村へと戻ってきました。無事に帰ってこられた安堵感とほどよい疲れもあり、まずは村のバールで休憩することに。祝日だったせいか、中心の広場ではアンティーク市でにぎわっていました。その一角にある市役所正面の壁には、家紋らしき紋章がいくつも掲げられています。どこかで見覚えがあると思ったら、それはフィレンツェ北部にある「イタリアの最も美しい村」※、スカルペリアで目にしたものとよく似ていました。調べてみると、どちらの村も1200年代末からフィレンツェ共和国によって建設された5つの新領地のうちの一つだそうです。

石造の門の上に残る百合の紋章
実際、旧市街の南西に立つ「フィレンツェ門」の上には、フィレンツェのシンボルである百合の紋章が掲げられています。フィレンツェへ向かう道に設けられたこの門の塔は、フィレンツェのヴェッキオ宮の設計でも知られ、当時この新領地の都市計画を任されたアルノルフォ・ディ・カンビオの手によるものであることから「アルノルフォの塔」とも呼ばれています。

サン・ジョヴァンニ・ヴァルノの街並み
それ以外に大きな見どころはないのですが、バルツェという稀有な自然に囲まれたこの小さな村は、トレッキングと組み合わせた穏やかなワンディ・トリップにぴったりな場所。最寄り駅のフィリーネ・ヴァルダルノからアレッツォ方面へ1駅進むと、前述した新領地の中で最も早く建設されたサン・ジョヴァンニ・ヴァルノがあるので、歴史や美術に興味がある人は合わせて訪れてみるとよいでしょう。この村にもアルノルフォ・ディ・カンビオが設計したアルノルフォ宮があり、現在は新領地博物館としてその歴史を伝えています。また教区博物館ではルネサンス初期に活躍した修道士で画家のフラ・アンジェリコによる『受胎告知』を見ることができます。
フィレンツェからは、電車とバスを利用しても所要時間はおよそ1時間半。イタリア、そしてトスカーナの従来のイメージからは想像できない絶景を見に、ぜひこのエリアを訪れてみてください。(つづく)
【村への行き方】
フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅(Firenze S.M. Novella)から電車でフィリーネ・ヴァルダルノ駅(Figline Valdarno)まで30~50分、そこからバスで15~25分。
※「イタリアの最も美しい村」協会:歴史的価値のある建造物や豊かな景観を有する小規模地域を対象に、保全や活性化の支援に取り組む民間団体。協会が定める厳しい基準を満たした村だけが加入を認められている。(写真提供:中山久美子)
【トスカーナ自由自在】
https://toscanajiyujizai.com/好評既刊『イタリアの美しい村を歩く』
中山久美子 著

定価2200円(税込)
トスカーナ州の田舎町に暮らす著者が、これまでに訪れた「イタリアの最も美しい村」の中から“忘れられない”30の村をセレクト。「飾らない、ありのままのイタリアを伝えたい」という思いから、電車やバスに揺られながらのローカルな雰囲気が楽しめる村を北部から南部までラインアップ。旅先での出会いやエピソードをちりばめながら、心に沁みる美しい村の魅力を綴る。「イタリアの最も美しい村」協会推薦本。
●書籍の詳細・購入は⇒
こちら