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食べるしあわせ
料理書から読み解くニッポンの食卓 食文化研究者
東四柳祥子
第1回 大変革は文明開化で始まった
 2013年に和食がユネスコの無形文化遺産に登録されてから来年で10年。一方で私たちの日々の食卓には、ご飯とみそ汁に加え、肉ジャガやハンバーグ、トンカツやギョーザといった“国際色”豊かな料理が並びます。このような日本の食卓の変化の裏には、明治期以降に一般の家庭にも普及した料理書の存在があると指摘するのは、食文化研究者の東四柳(ひがしよつやなぎ)祥子先生。明治以降、近代の料理書に見られる食材や料理法の変遷、そこから垣間見える先達の格闘ぶりなどを通して、時代とともに移り変わる日本の食卓と料理書の関係を教えてもらいます。

――コロナ禍で1日3食を家で食べることが多くなり、料理のレパートリーの少なさに我ながら閉口しました。久しぶりに家にある料理書を開き、献立のヒントを探しながら料理や食材についての丁寧な説明書きについ引き込まれてしまったことも。こうした料理書は、日本でどのように普及してきたのでしょう。

東四柳祥子先生

 今に至る「家庭向け料理書」が誕生したのは、明治期になってからのことです。それ以前には、家庭料理を指南する料理書はほとんど確認できません。幕末に女性を読者対象とした総菜帳のような本が見られますが、江戸期の料理書の読み手は主に男性で、プロの料理人か好事家に向けられたものがほとんどでした。プロ向けの料理書は、料理をつくれることが前提なので詳細な手順はなく、「汁」や「和え物」などの料理項目ごとに使用すべき食材の組み合わせだけが記されるスタイルが一般的でした。
 基本的に江戸期の食生活はシンプルなもので、ご飯だけで1人5合ほど食べていたともいわれますから、副菜は汁物や和え物をつくって、漬物を添える程度。そもそも日々の食事のために料理書など必要なかったのでしょう。江戸期も各藩で女子教育が行われていましたが、裁縫や育児重視で、食についての指南はほとんどありませんでした。食について語ることははしたないこととされていたからです。

 そうした状況は、幕末に開国とともに西欧列強が押し寄せ、体が大きくて屈強な西洋人を目の当たりにして一変します。日本が遅ればせながら近代化を図るために国家的課題として打ち出したのが、「富国強兵」の思想。頑健な西洋人と肩を並べるために何よりも重視すべきなのは、強壮な身体作りだと考えました。そのためには、肉食や乳製品を中心とした西洋人の食事に学ぶことが必須とされ、日本人の食生活における大変革が余技なくされたのです。明治期に登場した料理書は、そうした食卓の大変革を導くための指南書でもありました。

 富国強兵政策はまた、「男は外、女は内」という概念をももたらします。女性の役割として衣食住に精通していることが求められるようになったのです。「富国」を図るために国家の最小集団としての家庭でも不経済をいましめ贅沢をせず、「強兵」をつくるために日々、滋養のある食事をつくり供すること。当時の料理書を見ると、動物性食品をとることは国家のためであり、女たるものはその調理法や食べ方を学ぶべきである、という意味合いの記述も見られます。そうした背景から明治以降、女子教育は富国強兵を担うために家庭の運営を任せられる女性を育成する場となり、裁縫や育児に加えて食を司る「割烹」が重要な教育科目として登場しました。

――日本の家庭向け料理書は「文明開化」という大きな時代のうねりの渦中で登場したのですね。料理書をめぐるこうした状況は、遅ればせながら近代化を図った日本特有のものだったのでしょうか?

 日本に先駆けて産業革命による工業化が進んだイギリスでも、女性は家庭の管理を十分にできなければならない、という考え方が広がりました。近代日本において、女子教育の基本理念とされた「良妻賢母」という概念はイギリスで理想化された女性像を範にしたもので、日本でもこれに倣い、女子教育に力を入れることが強い国家づくりにつながるとの考え方が主張されたのです。

 明治初期の料理書の多くは、イギリスなど西洋諸国の料理書の翻訳がほとんど。読者対象もプロの料理人や調理を担当する使用人を雇っていた上流階級の人びとに向けられたものでした。それが明治の終わり頃になると、中流階級の勃興とともに家事のほとんどを自らこなす女性たちを読者対象とした料理書が刊行されるようになります。例えば明治40年(1907年)に出版された『惣菜料理のおけいこ』には、ひらがなを多用し、話し言葉でレシピを伝えるといった読みやすさへの考慮が盛り込まれています。

『惣菜料理のおけいこ』(1907年、東四柳所蔵)。掲載されているのは和食が中心だが、多彩な洋食が紹介されているのも同書の魅力

上記「フライ」以外に「ビーフステッキ」「ビーフスチウ」「ハム飯」「ハムエッグス」「チキンサラド」といった洋食も登場する


 ただし、まだまだレシピの文章は長めです。たとえば、本書所収の「玉子やきのすだれまき」には、「たまごわ一人前に一つ半位の割で、こわして、よくかきまぜまして、其中そのなかえ、たまごのかさの三つに分けた一つ分位の『煮出にだし』をいれまして、それに砂糖を少しと、醤油とで味をつけて、玉子やき鍋で、やきまして、やけましたらで、まいて、おいて小口から切るのです」とあります(以上、原文ママ)。
 今のレシピからは考えられませんが、一息では読めないくらい一文が長いでしょう(笑)。(つづく)

――当時の女性たちがスマホならぬ料理書と首っ引きで新しいメニューに取り組む様子が思い浮かぶようです。歴史が苦手な人でも、読み物として楽しめる近代の料理書。次回は、「読み解く楽しみ」について聞きます。

(構成:白田敦子、写真資料提供:東四柳祥子)
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【ひがしよつやなぎ・しょうこ】
1977年石川県生まれ。梅花女子大学食文化学部食文化学科教授、博士(学術)。東京女子大学文理学部を経て、東京家政学院大学大学院人間生活学研究科(修士)修了。国際基督教大学大学院比較文化研究科にて、Ph.D.Candidate取得退学。専門分野は比較食文化論。著書に『料理書と近代日本の食文化』(単著/同成社)、『近代料理書の世界』(共著/ドメス出版)、『日本の食文化史年表』(共編/吉川弘文館)、“Japanese Foodways, Past and Present”(共著/University of Illinois Press)など。
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